【男気】広島カープ黒田博樹投手が日米通算200勝達成!その軌跡

2016年10月14日

カープファンにとって待ちに待った日が遂にやってきた。

32000人、満員の観客となったマツダスタジアムに一人の男が高々と「200」と記された花輪を掲げたのは、広島の誇りとも言われている黒田博樹投手だ。

黒田博樹200勝

プロ20年目の黒田投手が野茂英雄に次いで日本選手2人目となる日米通算200勝を達成した。マツダスタジアムで行われた阪神17回戦に先発し、7回無失点で今季7勝目、日本通算121勝目。米大リーグでの79勝と合わせて達。41歳5カ月で200勝到達は、2008年に42歳11カ月で達成した中日ドラゴンズ山本昌に次ぐ年長での達成となった。

不安もあった。

前回登板(13日)の巨人戦では6回2/3を投げ、10安打6失点で降板。その投球内容から限界説や相手チームの研究により通用しないのではないかという懸念までファンの間で囁かれていたが、そんな心配をよそに41歳の右腕は快投を続け、7回を5安打無失点に抑え、誰もが納得する内容で自身の記録に花を添えた。

黒田博樹200勝

彼がなぜ広島のファン、いや日本の人々から愛されるのか、その人物像に迫っていきたい。

 

エリート街道とは無縁の野球人生

大投手黒田博樹の野球人生はとても順風満帆というものでは無く、驚くべきことに上宮高校時代は背番号10の控え投手だった。控え投手といえば聞こえが良いのだが、簡単にいえば補欠選手で、しかも3番手投手だったのは現在から想像すらできないだろう。

黒田博樹補欠

東都の専修大では地道な努力と、負けん気の強さでエースにのし上がると、大活躍しチームを二部から一部に引き上げ、球速も150km/hを記録すると供に、本格はピッチャーとして大成していった。

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1996年、ドラフト逆指名2位で念願の広島東洋カープに入団し背番号は15に決定。この15という番号が伝説になる日が来るとは誰もこの時は予想しなかっただろう。

プロ入り後の黒田はそれまでの佐々岡真司に代わってエースの座を勝ち取り、2004年には自己最速の157km/hを記録。アテネオリンピックでは野球日本代表に選出され中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得に貢献する大活躍。本格派投手としてカープの代表的選手となる。

黒田博樹第一期

2006年は黒田がFAの権利を得た年であり、ファンの間でもその噂が囁かれていた。

 

男気伝説がはじまる

広島は球団の方針としてFA宣言した選手に対し、留意することはしない。つまり黒田投手がFA宣言をしたと同時に移籍が決定するという事だ。

ファンは黒田投手の投球をいつまでも見ていたい。そんな思いが当時の市民球場に翻った。

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15の巨大な旗、そこにはファンの黒田投手に対する思いが書き込まれていた。

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試合後、この旗を受け取った黒田投手はファンの思いを感じ、カープファンのためにもう一年広島でプレーすることを決意。

その時の残留会見ではこう語っている。

「僕が他球団のユニホームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった。僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」

当時のカープは、良い条件を求めてFA離脱する選手が続出、そんな中、金よりもファンの気持を取った黒田投手をファンが愛さずにいられない事は容易に理解できるだろう。

 

渡米、メジャーリーグへ

2007年オフ、球団本部長の鈴木清明へメジャー挑戦を決断したことを報告、記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」と語り、新たなる挑戦を目指し米国へ渡った。

アメリカでの通算7年は御存知の通りの活躍で、ドジャース、ヤンキースでエース級の活躍、通算79勝している。

 

広島復帰そして24年ぶりの優勝へ

黒田投手の活躍は広島のファンも喜んでいたが、メジャーの代表的選手になるにつれ、手の届かない遠い存在となっていた事も事実で、毎年オフには、「今年は黒田が帰ってくるかもしれない」という期待を込めた会話も徐々にファンの間から消えていった。

しかし、2015年オフにはパドレスから1800万ドル(21億円)のオファーがあったが、黒田投手が選んだのはファンの待つ広島カープだった。

2014年12月27日、広島と契約したことが球団から発表、1年契約で年俸は推定4億円(プラス出来高)、背番号は2007年まで着けていた15に決定した。

この背番号15は、黒田投手が帰ってくるまで広島球団は欠番扱いにし、他の選手が使うことはなかった。

上記の海外での高額オファーを断って日本国内の古巣・広島カープに復帰するというニュースは、日本球界関係者のみならず大リーグ関係者にも大きな反響があった。

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広島に入団した黒田投手は、他の選手にも多大な影響を与えている。

2016年、7月23日

遂に黒田投手は日米通算200勝を達成、男気あふれる41歳の大投手はカープ躍進の原動力となり、24年ぶりの優勝に向けて進んでいく。

スポーツ

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